多動×自分

多動症が世の中的に悪といわれるけど、悪という風潮を作ったところが悪だと思うサラリーマンの日常

多動の人には天才が多い気がする。少なめに見積もったとしても

多動の人と1年間仕事をしたことがあった

人生で5本の指に入るほど、衝撃的な人と仕事をする機会があった。昨年1年間くらい。世界的にも超有名な企業で、超有名なOSに関わっていた日本人エンジニアさん。アメリカ国籍をお持ちで英語堪能。おまけにフルスタックエンジニアなもんだから、何でもこなしてしまう。こんなすごい人が日本にいたのか、と衝撃的だった。

発言も衝撃的で、「俺は天才」「あいつほんとに何も考えてないのかね」とか、スパイスが効いている発言だらけ。でも本質を捉えていて、聞いているこっちはニヤニヤしっぱなしだった

 

多動なのはその「行動」

自分の中であまりにも要チェック人物だったため、仕事中の彼の動きをずっと観察していた。

まず、ずっと席に座っていられない人だということがわかった。エンジニアだからずっと座ってプログラミングするかと思いきや、超集中して席を立ちあがり、周りをうろうろし始める。仕事ホントに進んでるのかな?と思うと、ちゃんとばっちり仕上がっている。心底驚いた。超生産性が高く、短距離走の繰り返しみたいな仕事をしているのかなと思った。

立ち上がって周りをうろうろすると、社員に話しかけに来る。おしゃべりが大好きなようだ。話の内容も面白いんだけど、集中しているこっちからしたら、時にはそれが迷惑。もっと会話しておけばよかったかな。あんな日本人エンジニアさん、なかなかお目にかかれないから。

それに比べて自分は多動かどうか

この人と比べてしまうと、全然多動じゃないんですよね。確かに落ち着いて席に座って仕事ができないとか、違う場所で仕事をしないと気が済まないとか。そういう部分はありますが、このエンジニアさんこそが多動を表してるんだろうなーと思いました。

 

もっと自分の中にある多動な部分を掘り下げたい。自分には多動なところがあり、どこかしらで人と違う視界や視座があるはずと(何かしら)感じているので、自分をもっと見つめなおしてみたい!

大人の多動症って問題あるの?

脳の発達障害といわれるADHD(注意欠陥・多動症障害)は、大人になっても治らないといわれている昨今の世の中。別に多動でもいいじゃんという風潮が世の中に広まってきている。でも別に、「俺って多動だから」っていうホリエモンやら、うちの社長もそうだし、多動だからこそ生まれる発想や行動があるわけで、社会的悪にしているこの感じ、好きじゃない。

これって多動?幼少期の自分

別に注意欠陥でもないし、物忘れが激しいわけでもないし、普通に生活できていた自覚はある。今でも全く問題ないし、世の中平均以上の稼ぎで家族を養っている。だから何ともないと思っている。

決してADHDではないし、ただ「多動」という言葉に少し当てはまるものがあるとしたら、「色んな事に興味関心が移り渡り、少し飽きっぽいところがある」点が主に当てはまる。
熱しやすく、飽きっぽい性格は、これは親の育て方は一切関係しておらず、自分自身の個性だと思っていて、正直昔も今も何とも思っていない。いろんなことを見たい知りたいって思うからこそ、今仕事で「多動性」が役立っていると思っているから、悪いどころか「むしろ積極的に多動であるべき」だと確信している。

多動性のある人たちは、世の中でこんなにも活躍しているじゃん。

ADHD・発達障害の有名人・芸能人まとめ一覧 |ADHDガイド

多動じゃないと、今後は生きていけないと思っている。自分のライフテーマが「生涯教育」と定義していて、それは昔も今も変わらない。「昔」というのはいつかというと、大学1年生あたりから。そのころから「ずっと頭の中をR & Dしていかないと、この先インターネット時代で置いて行かれるな」と強く思っていた。だからその時の仮説は、革新に変わっており、今後もそれは変わらないだろう。

うちの子供が、担任から言われた「ADHD」という言葉

まさか、家庭訪問的な場で、担任の先生の口からこの言葉が出てくるなんて驚いたし、どういう意図で使ったのかがわからなかったから困惑した。

うちの子は小学校2年生男子。どちらかというと読書スピードは早くない。早くないけど普通に読めるし、日常生活に支障を来しているわけではない。どちらかというと数字にとても強く、そして記憶力がとても良い。記憶力は、下の子(3歳)も共通で、うちの子の強み。

で、担任の口から言われたADHDという言葉、どこからかというと、

クラスメイトとの距離感、空間の取り方、それは漢字の書き方とかがそうなんですが、あれ?と思うことがある。 

 と。この表現の次にADHDという言葉を言われたらしく(妻が)、その唐突さと、ADHDという言葉を、保護者に対して簡単に使ってしまうあたりの担任のデリカシーのなさというかにびっくりした次第。

こんなことで言われるんだったら、喧嘩っぱやい子供だったり、道路を飛び出しながら遊んでしまう下校児童だったりの方がよっぽど問題だと思うのは自分だけだろうか。

大人の多動についてこれからもいろいろ調べていこうと思う

あまりにもわからないことが多すぎる。リタリコが「発達障害」をテーマにして事業拡大している姿、あれはビジネス的には「おいしいところを見つけたなー」とは思うものの、果たして世の中的に良いことをしているのかわからない。不安で煽る保険商材の一種のように感じている自分からすると、「情報弱者に対するビジネス」だと思うのが、このADHDビジネスであり、ちゃんとした情報を収集し、整理伝達できたらいいな、と思ってこのブログを書き始める。

(続くかなあ)